ドリーム小説
「それであの調子だったのですか」
のんびりとそう言った宗三は茶を啜った。
話題は二か月ほど前、女審神者からチョコレートを貰った日の事である。
帰って来るなり台所を占拠してチョコレートを拵えた女審神者は、デパートで買って来たチョコレートと共に男子達へ配った。
それ以来、バレンタインデーの話題が聞こえると、あからさまに表情をこわばらせる。
テレビからデパートと言う単語が聞こえて来るや否や、音速の速さでスイッチを切る始末。
宗三の横で茶を飲んでいる光忠は、困った様子で苦笑した。
「どうもその跡部さんって人なんだけれど。そのデパートを経営する財閥の御曹司みたいでね。
あの日は開店セールのイベントに呼ばれてたらしいんだ」
「詳しいですね」
「加州君がヘソを曲げてね。乱を巻き込んで調べたみたい」
「ああ。彼は現世に詳しいですからね」
「――まあ、ヘソも曲げる気持ちも分かるんだけれどねぇ」
お八つの饅頭を口にした光忠を横眼で見た宗三は、首を傾げる。
「貴方もヘソを曲げたのですか? 燭台切」
「ぼくかい?」
光忠は二三度瞬く。
やがてやんわりと微笑んだ光忠は、湯呑みに口をつけた。
「消そうかな、と思ったくらいかな」
「……そうですか」
抑揚なく相槌を打った宗三。
宗三はついと、女審神者に視線を戻す。
本丸の担当者が変わったらしく、今日は新しい担当者が挨拶に来ると言う。
一心不乱にせっせと掃除する女審神者を呆と見ている宗三は、なるほど、と一人呟いた。
「それで近頃、あんなに熱心なんですね。長谷部は手がいらないと言われて、随分へこんでいましたし」
「それで済めば話は早いんだけれどね。主がつけた帳簿の計算が全部間違ってるって、博多が戦々恐々としてたよ」
「働くだけで空回り、ですか。あの人らしいですね」
ふ、と宗三が笑う。
一見すると小馬鹿にしているように思えるが、大抵その時、宗三が穏やかに笑っている事など本人も知る由が無いのではないか。
宗三から女審神者に視線を映した光忠は、まあ、と口を開いた。
「主にも、昔がある事は分かってるつもりなんだけれどね」
「…そうですね。わたしたちの元の主とは違って、主は今を生きる身。俗世を離れているとはいえ、しがらみは多いですよ」
「……隠せたらいいと、思うかい? 宗三くん」
宗三はちらりと光忠を見た。
普段からあまり多くは語らないこの刀の胸の内を、光忠はある程度予想立てている。
宗三は目を細めて光忠を見ると、ややあって、静かに答えた。
「あの場所は、退屈でしょう。あの人には」
「…そうだね」
「名など、知らぬ方がお互いのためですよ」
そう言った宗三は、饅頭を齧る。
笑った光忠が茶で濁していると、おうい、と薬研の声が聞こえた。女審神者が首を巡らせる。
「新しい担当者が来たぜ。今いち兄がこっちに案内してる」
「あ、ホントー? どんな人だった? 優しそう? ちょっとは融通ききそう?」
「どーだろうなあ。若い男だったぜ」
縁側にしゃがみこんだ薬研に、女審神者が駆け寄る。
日差し避けの麦わら帽子を降ろした女審神者は、若いかあ、と顔を歪めた。
「少し上くらいが良かったな。若い男の人ってあんまり周りに居ないし」
「何言ってンだよ、大将。目の前に俺っちがいるだろう」
「…見た目だけ、ね」
「ははは。ま、政府の人間なんざ、また変わるんだからよ。あんまり肩肘張らない方がいいぜ、大将」
「それもそうだね。あ、着替える暇あるかな?」
女審神者は泥だらけな自身を見下ろす。
「ちょっと臭うでしょ? さっき、鯰尾が生き生きと馬糞投げてる所に出くわしたんだよね」
「若干な。俺っちたちは慣れてるが…さすがにそのままはマズイか」
「じゃあちょっと着替えて来ようかな。鶴丸に一発芸でも披露しててもらうか」
「そりゃぁちょっと考えが物騒すぎるんじゃないか? 大将」
「やっぱりか。じゃあ、光忠にお茶の用意をしてもらって」
少し離れている光忠と宗三に目が向いた時、後ろから一期一振の声がした。
「主。政府の方をお連れ致しました」
「あ、ありがとう一期。着替える暇が無くて、この恰好ですみません。わたし、この本丸の審神者を務めております」
女審神者の声が止まった。
光忠が首を巡らせる。
そこに立っていたのは、あの時デパートで出くわした跡部と言う男で、
目を見開く光忠とは対照的に、女審神者はえ、とかあ、とか言いながら立ち尽くしていた。
「跡部くん」
「…また会ったな」
前回の高そうなスーツとは一変して、黒いスーツに身を包んでいる跡部は、淡々と口を動かした。
「今度からこの本丸の担当をさせてもらう、跡部だ。ま、自己紹介なんざ今更しなくても、テレビ見れば早いだろうが」
「ちょ、ま」
女審神者がカクカクと震えている。
薬研は「あとべ?」と言うと、顎に手を添えて宙を仰いだ。
「どっかで聞いた名前だな。否、見たのか?」
「……薬研くん、招待状」
光忠が助け舟を出す。
ぽんと手を打った薬研は、驚愕のまま固まっている女審神者を斜めに見た。
「ああ。あのあとべって奴か。なんだ大将、政府の人間だったのか?」
「違うと思う」
困惑したまま首を振る。
「ちょっとわたしも状況が良く分からないんだけれど。跡部くん、どういう事?」
「探させたんだ。何もわかんねぇまま消えられた昔とは違うからな。清光、光忠、主、聞いた単語で探させた」
「探させたって…」
「財閥には、政府関係者の知人も多いんだよ」
「だからってそんな、片手間でする仕事じゃないよ、これ」
素っ頓狂な声を上げる女審神者。
審神者に付く担当なぞ、政府の一番下っ端がやるような仕事だ。
卒業と共に華々しく跡部財閥の時期総帥への道を歩んでいる跡部がするような仕事ではない。
方や政府の仕事だってそうだ。財閥の御曹司がするような表だった仕事とはかけ離れている。
「分かってる。
ま、俺様が継がない訳にもいかねぇが、当面は工面して貰えるよう頼んだ」
「頼んだって」
「やるからには完璧しか道はねぇ」
跡部の名を背負っているからか、昔から潔癖なまでに完璧主義者だった跡部。
声高にそう言った跡部に、女審神者は未だに目を白黒とさせたまま口を開けている。
「本気?」
「ああ。ちなみに、財閥を離れるにあたって、家を出た。てめぇん所一室開けろ」
「はぁ!?」
「荷物は後程運び込む。とにかく今は今後の打ち合わせと――」
「ちょ、ちょちょちょちょ待ったっ」
両手を突き出した女審神者は、跡部の言葉を区切った。
「跡部くん!」
「だから何だ」
「自分がやろうとしてる事、分かってる? ここは、普通とは違うよ」
俗世から、少し離れた空間。
時間遡行軍と戦う刀剣男子。
常識とは一線離れたこの場所で、生きると言うのはそれなりの覚悟が居る。
覚悟を決めた女審神者だからこそ、それを問うたと言うのに、跡部は丹精な顔を歪めた。
「違っても、てめぇがここに居るだろうが」
「は?」
「理由はそれだけありゃ、十分だ。茶はいらねぇ。荷物と一緒に馴染みの紅茶が届く」
右往左往とする女審神者と、それを見下ろす跡部。
その様子を少し離れた所で見ていた光忠は、ぽつりと呟いた。
「いっそ名前が分かる方を隠すって言う手もあるよね、宗三くん」
「…あんな男と二人っきりなんて、ぼくは嫌ですよ」
「……ぼくも嫌かな」