ドリーム小説
「すごい人だね」
「こんな時期にこんな場所、来るもんじゃないよ」
人波に酔った女審神者が、青っ白い顔で唇を抑える。
帽子と眼鏡に隠れて顔の大半は見えないが、いつもよりも唇が血の気を失くしていた。
そんな彼女を斜めに見て苦笑する光忠の隣で、清光は背伸びをすると、ショーケースを覗き込む。
「ねぇ、主。あれチョー可愛いんだけど」
「待って清光。逸れたら確実に合流出来ないから」
花に吸い寄せられる蝶のよう。
ふわりと今にも色とりどりのショーケースへ向かいそうになる清光の腕を掴んで引き留めた女審神者は、げっそりとしたまま言葉を続けた。
「何でこんなに人多いの、ここ」
「なんか、開店セールって書いてあるね。今年出来たみたいだよ」
「どーりで」
「主、知らなくて来たのかい?」
「デパートとか来ないもの。ここら辺に来れば、何かしらのデパートがあるか、くらいにしか…」
「主、俺あれがいいな」
「ちょ、ま、清光。腕引っ張らないで」
反対側の手で、思わず光忠の袖を掴んだ。
人ごみをかき分けるようにして進んで行く。
辿り着いたショーケースを前にして、キラキラと瞳を輝かせる清光は、女顔負けに可愛かった。
朱に塗られた爪を唇に添えると、猫目を細くして女審神者を仰ぎ見る。
「ね? 主」
「うん。確かにまあ、買える値段だね」
頷いた女審神者は、定員に「じゃあ」と言って数を告げた。
流れるような作業に、清光はえ、と驚くと、声を上げる。
「早くない!? 主! 俺まだ色々見たいのにー!」
「我慢して清光。また連れて来るから。この時期にこんな場所を男連れで歩いている女っていうだけで、視線が痛いの」
しかもとびきり面構えの良い男を、である。
女審神者が切実に言うと、清光は頬を膨らませた。
「俺だって楽しみにしてたのになぁ」
「無理やり引っ張り出して何を言う」
来たいか来たくないかを問われたら、間違いなく来たくなかった。
場違いな場所に男連れて来てンじゃねぇよ、と言う突き刺さるような視線を一身に受けた女審神者は、
定員から紙袋に詰まった大量のチョコを受け取ると、清光の甘えた視線にめげる事なく、親指で出入り口を示す。
「帰るよ、清光」
「まぁまぁ加州くん、スーパーもある訳だしね」
宥めるような声を上げる光忠に続いて、女審神者も踵を返す。
ぶーぶー、と口を尖らせて抗議する清光が最後に続いて、一目散に出入り口を目指していた一向は、
やたらと背後が騒がしくなった事になど、気にも留めていなかった。
特に周りに視線を向ける事なく歩いていた女審神者は、だんだんと騒がしい声が近くなって来た事にも気づかない。
「ちょ…!」
清光の声が聞こえて、ようやく辺りの違和感に気が付いた。
ありとあらゆる視線がこちらへ向いている。
怪訝に思う間もなく、清光の「燭台切!」と言う声が聞こえたかと思うと、力強く腕を引かれた。光忠の背後に追いやられる。
「わ」
燭台切の背中越し。
清光を押しやってまで、女審神者は自分の背後まで迫っていた影の姿を瞳に映した途端、大きく瞳を見開いた。
「跡部くん」
「……よぉ」
高そうなスーツに身を包んでいるのは、中学高校時代の同級生で、
相も変わらず不機嫌な面構えと言うのに美しく華がある男は、泣きボクロの下にある端正な唇を引き攣らせている。
光忠、清光、女審神者へと視線を向けた男はあからさまにチ、と舌打ちした。
「主、知り合いかい?」
女審神者は「うん」と頷くと、続ける。
「中学と高校の時のクラスメイト。帽子と眼鏡で良く分かったね。久しぶり、跡部くん」
「久しぶりじゃねぇ。どのクチが平然と言ってやがる」
地を這うような声を上げる跡部。
女審神者は彼の口が再び開くよりも先に、先手を打った。
「あ、名前は言わない方向でお願いします」
「あぁん!?」
「仕事柄本名伏せてるの」
「仕事柄って…」
跡部は光忠と清光を睨みつけると、眉間に縦皺を増やす。
「男二人連れて名前も言えねぇとは、何の仕事してやがんだ」
「言わない」
「あぁ!?」
「何で跡部くんに言わなくちゃいけないの」
「卒業以来一度も顔ださねぇ女が…偉そうに…」
「高いパーティにお邪魔するような身分でもないしね」
女審神者が言うと、防御壁と化した光忠が「そう言えば」と小さく口を開いた。
「主に時々来るよね、招待状」
「あー。薬研が景気よく捨ててるアレな」
ぽそぽそと交わされる会話を耳聡く聞きつけた跡部の形相が般若と変わる。
女審神者はこら、と小さく抗議の声をあげると、跡部を見上げた。
「とにかく、そう言う事で」
女審神者が光忠の袖を引いた。
その間を縫う様にして手を伸ばした跡部が、女審神者の腕を掴む。
「何」
「…」
跡部は何も言わない。
光忠と清光が緊張の糸を張って、
いたるところから向けられる好奇の視線から逃げるように、女審神者は跡部を見据えた。
「チョコ」
「は?」
「俺へのチョコ。どうした」
仏頂面で尋ねられる。
その瞬間、女審神者は耳まで真っ赤に染め上げた。
「なァ…!? 一体、いつの話してんの!?」
「学生時代だよ、高三」
「知ってるわよ、そんな事! なんで、いまさら、そんなこと」
「てめぇが行方くらませたんだろーが! 言いたくても言えなかったんだよ!」
「自分で食べたにきまってるでしょ!」
「その癖、そんだけの男にチョコばら撒いてやがるのか、てめぇ!」
「関係ないでしょ!? 相変わらず自分中心なんだから…! 少しは長太郎君の爪の垢でも煎じて…」
「「はい、そこまでー」」
間に割り込んだ清光が、問答無用で跡部の腕にチョップを落とした。
離れた隙に燭台切が背中へ囲い込む。
「うん、ちょっと近いよね」
「せっかく主とのデートなんだから、邪魔しないでよねー」
「…主?」
怪訝な顔をした跡部が、女審神者を見下ろす。
「マジで何の仕事してんだ」
「……い、言わない」
むしろ言えない。
ただでさえ連れている男二名の顔面偏差値が異様に高い事を彼女は自覚している。
加えて、目の前で鬼の形相をしているこの男も、中学高校とそれはもう盛大にモテまくっていた。平然と俺様が一人称だった男である。
跡部財閥御曹司。
ちょこちょこテレビに映るたび、気恥ずかしい学生時代を思い出してチャンネルを変えていたが、
こうして見れば精悍な顔つきのまま、年相応の風格が出ている。
まあ、彼が率いるテニス部は、頭一つ抜いて大人びていたが。
女審神者はきゅ、と唇を結ぶと、首を横に振った。
「と、とにかく。もう会う事もないから」
一歩、二歩と後退る。
「ちょ、待て…!」
跡部が伸ばした手を、清光と光忠が遮った。
跡部の眼が鋭くなる。
そのままジリジリと見据えあって後退した三人は、入り口まで来ると、脱兎のごとく駆けだした。
女審神者は息も途切れ途切れに、赤くなった頬を腕で隠す。
「も、ホント…最悪っ」